そもそも、何が面白くて、どこが楽しくて鍼や灸といった仕事をしているのか、自分でも時々ふと振り返って考えることがあります
学生の頃、学びを共にしたほとんどの人が、自身や家族がケガや不調で鍼灸にお世話になり、この仕事に興味を持った人たちでした
また、身内に治療院や整骨院を営んでいる人がいて、その後継者として学んでいるケースも多かったと思います
ですが、私はそうしたことには該当せず、鍼灸そのものを受けたことすらないのに、この道に気づいたら迷い込んでいました(笑)
高校時代、大学の進路を決めようという時期に、エジプト考古学の吉村作治先生をよくテレビで観ていた影響もあってか、漠然と考古学への道に進めればと思ったものです
しかし、進路相談で担任の先生と両親に「そんな食えるかどうか分からない道に進むのは勘弁してくれ」と反対されます
考古学はなんとなくの憧れに近い動機だったので、それほど悩むこともなく、あっさりと諦めました
諦めたものの、どの道に進むべきか悩み、哲学や宗教学の分野も考えましたが、これもよく思われないだろうと断念します
進路指導室の前の廊下には、全国の大学のパンフレットが本棚にびっしりと並んでおり、つい思いつきで目を閉じて、適当に一冊だけ取り出しました
その適当な一冊の大学案内のパンフレットが鍼灸の大学でした
詳しい内容を読むこともそこそこに、シンプルに未知の業界への興味へといつの間にか変わっていた気がします
中学から少林寺拳法をやっていたので、多少のツボや経絡などへの関心はあったものの、鍼灸や東洋医学という存在にはまったく気づいていませんでした
また、そこに興味が傾いた伏線として、学校帰りによく立ち寄っていた古本屋でたまたま手にした本、「肥田式強健術」という西洋医学と東洋医学が融合された謎めいた身体医学の書籍をちょうど読んでいたこともタイミング的に手伝ったのでしょう
鍼灸の大学のパンフレットにも、西洋医学と東洋医学の長所を取り入れ、その調和の結果としての鍼灸が云々といった文言が共通していたことも、あるいはあったのかもしれません
そんなこんなで、試験と面接をクリアし、京都の奥深くにある大学への進学が決まり、とうとう鍼灸への道へと訪ねていくことになりました
鍼灸と聞くと祖父母や両親の世代では、鍼灸師は目の不自由な人の職業といったイメージが根強かった時代でした
なので、進学が決まり、父親から言われたのは「お前は目が見えるのに、将来は旅館やホテルで按摩でもやるつもりなのか?」と、周囲の認識はまだまだそんなものでした
ただ唯一、書道の恩師だけが君はいい仕事を見つけたねと、これから進もうとする道のりを満面の笑みで褒めてくれました
その帰り道、師のもとを、そして郷里を離れるこれからを思うと、利根川の土手を自転車を漕ぎながら夕暮れの川の風が一層冷たく、一抹のさびしさで心が占められるのでした